| 親の手記5 |
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重い鞄を背負って、体をゆらしながら「いまー」(ただいま)と帰ってくる娘の姿をみると心の底からほっとします。そして無事に帰れたことに感謝しながら「お帰りなさい」と声をかけます。 十年前、多動で目が離せず、警察のお世話になることも度々だった子がたった一人で学校から帰って来られるなんて夢にも思っていませんでした。こんな未来がわかっていたなら当時あんなに焦ったり、悩んだりすることもなかったのに...。 娘は3,400gの大きな赤ちゃん、しかも安産で、長男に続く女の子ととてもハッピーな誕生でした。でも、幸せも束の間...出産4日目に母親の私が『子癇』という病気で倒れてしまい、生死をさ迷いました。ようやく元気になると今度は、娘が肺炎を繰り返し、陽気が暖かくなるのを指折り数えて待っていたものです。 幼児期になると、健康を取り戻し、すくすくと育ちました。しかしその反面発達の遅れが目だってきて、同時に多動という現象が現れました、自分勝手に目的もなく歩いて行ってしまい、家の中でも手当たり次第の1歳児並の行動が何年も続きました。四六時中目が離せない状態で「かわいい」と感じる余裕なんてありませんでした。感情表現が乏しく親に甘える事もできない我が子とどうしたら心を通わせることが出来るのか...いつも頭から離れませんでした。それでも、家族と親戚の理解と愛に包まれながら、保育園、病院、療育センターに通うことになって、少しずつ母子共に成長し、娘も落ち着いてきました。私もおのずと愛情が湧いてきました。 小学校は地域で育てたいとの重いから地元の小学校の普通学級に通いました。クラスの皆から「みみ」(自分をそう呼んでいた)と可愛がられ、人に興味が出てきて、甘えたり、自分の要求を伝える事が出来るようになってきました。放課後は毎日お友達が遊びに着てくれました。私はしつけより勉強よりも『遊ぶこと・色々な体験をさせること』を最優先してきました。人に共感する気持ちを育てることが言葉の成長につながると信じて努力してきました。 4年生から学区の複式学級に転校する事になり、今までなかった厳しさの中で自分勝手な行動を我慢することを学びました。学習面でも自分に合った課題に意欲的に取り組むようになり、自信を得ることが出来ました。 中学は、幸並中複式に入学しました。手先を使う作業が好きな娘に刺繍、機織りなど毎日、毎日、本当に根気よく付き合って下さる先生方にはとても感謝しています。出来ないものを見つけるのではなく好きなこと、得意なものを引き出して広げて下さる先生方の取り組みには子育ての原点の様なものを感じます。それによって、不思議と苦手なことも克服できてくるのです。 幸並中ではダンスや給食の交流授業頻繁に行なわれています。娘は大きな手のひらで男子生徒をリード?しているようです。最近は私たち親の会の活動にもボランティアとして幸並中生が大勢来てくれる様になりました。先日ある生徒さんが「今日初めて公美ちゃんとお話しました。折り紙を教えてくれたんですよ。あたしとっても嬉しかった...」といってくれました。付き合えば付き合う程、味が出てくるのが障害児!もっと知ってほしい。それが正直な私の気持ちです。それは、中学生に限りません。ごく普通の人々がごく普通に障害のある人達と関わって支え合っていける世の中になったら...どんなに素敵でしょう。そしてこんな夢を与えてくれた娘に感謝します。ありがとう! |
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