| 親の手記4 |
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娘は、2950gで元気に生まれました。初孫だったので、両祖父母ともおさるの様な顔を見ながら「可愛い、うちの孫が一番可愛い」と言っていました。そして、3才まで大病もせず、のんびり、おっとりとした性格で育ってきました。 3才になり幼稚園に入園して十日目頃から高熱が続き、以前からよく扁桃腺の高熱を出していたので、「いつもの扁桃炎かな。」と思い、かかりつけのお医者様の診察を受け、薬などで様子を見ていました。ところが全然熱が下がらず、「今までの熱と違う。」と思い、主人と夜間緊急のある病院にいきました。帰りの車の中で吐いてしまい、それからは高熱と吐き気で本人も私もあまり眠れずでした。翌朝、意識がなくなる娘にびっくりして、日曜当番医を調べ、すぐ病院に行ました。医師は、見るなり「うちでは見れません。」と言って、静岡県立こども病院を紹介されました。そのままこども病院に行くと、医師は「髄膜炎ですね。」と言うと、娘を検査のためどこかへ連れて行ってしまい、主人と私と二女の三人でしばらく座ってると、担当医師が来て狭い部屋に連れらて行かれ、病気の説明を始めました。CT写真を見ながら「化膿性髄膜炎です。生死にかかわる状態です。髄液を採って今調べています。髄液は菌のため真っ白に濁っています。かなりの頭痛があるので呼吸を止めたりして痛がっています。」と‥‥目の前が真っ白になり、こんなシーンテレビで見たことがある‥ある‥あるでも、これはテレビでなく本当に、本当に起こっていることなんだと一人頭のなかで自分にブツブツ言い聞かせました。7月中旬の退院までの間、尿毒症、敗血症と生死をさ迷った事もありました。退院はしたものの、目は開いていても見えてるの?手も足も動かず表情もなく、笑いもせず、天井ばかり見ていました。 ある日、娘を倒れない様に座らせて「はとポッポ」を何度も歌っていると・娘の口が動いている・小さな声で「ポッポッポ〜」と何度も「ポッポッポ〜」…この娘の「ポッポッポ〜」がまた私の心に・頑張ろう・と力をくれました。病院の先生から、リハビリ施設を紹介して貰い、週に二度位通いました。最初は、嫌で泣いてばかりでしたが、うつぶせ、寝返り、ハイハイと少しずつ体が動く様になり、顔の表情も出てきて、・・・歩と装具を着けて歩けるようになり、以前通っていた幼稚園にも着替えや紙オムツを持って、ゆっくりと歩いて通園、運動会や遠足にも参加しました。 私が優しい母から・鬼の母・に変わったのは、年長の夏頃からです。就学の問題が出てきて、「これだけの回復をしたのだからこの先も…」と思い、ひらがなや数の勉強を始めました。毎日、泣いてもひらがなや数の勉強です。絶対に元の娘に戻ると信じて頑張りました。何度もキレて、何度も私自信が嫌になり、情けなくなることもありました。 ひらがな?数も?の娘が、普通学級の1年生に無事入学です。この学校にも、仲よし学級(特殊)はありました。(次号後編に続く) 小学校に入学してからもまだまだ・鬼の母・は、続きます。毎日の宿題に備えて、家事を早くすませ、娘と宿題です。1年の頃は、どうにか・ちょい鬼・でしたが、2年、3年、4年になるにつれて、どんどんこわい鬼になってました。私もこれ位でという妥協をすれば良かったのですが、宿題だけでもと頑張っていました。 3年の頃から「仲よしに変わっては?」と言われていたのですが、主人が猛反対。私も娘との宿題だけで疲れています。色んなやり方で教えますが、どんどん難しくなるので、教えている私の頭の中がパニックを起こしていました。娘もしかられてばかりなので、自信がなくなり、いつもびくびくして私の顔を見ながら行動しました。主人にこんな状態を言ってもわかってくれず、仲よしに変わるのは反対。主人には主人の考えた娘の進路があったようです。 入学してから学期ごとに、校長先生、担任の先生に、仲よしの先生との話し合いの時間を作ってもらい、学校の様子、家での様子を話していました。反対していた主人が、4年の2学期だけ仲よし学級に変わることをしぶしぶ賛成してくれました。 新しい仲良し学級で緊張するかと思ったらニコニコ笑っていました。仲良し学級で娘が変わっていきました。明るくなり、自信もでたのか声も大きくなり、主人もこの変化に「仲よしにして良かった、明るくなった。」と言っていました。が、まだ普通学級にこだわっているようで、また普通級に戻したいと言い出したので、先生から親学級を普通級にして、娘の参加できる教科は親学級で、参加できない教科の時間は、仲よし学級で彼女に合わせた問題で学習することが決まりました。娘が仲よし学級になってからは、私も鬼にならなくてすむし、精神的にも肉体的にもすごく楽になりました。 6年になる頃、主人の転勤で川口に来ることになり、その時に沢山のお友達からお手紙をもらいました。普通学級の担任の先生からも「恵里ちゃんがいてくれたから、とてもやさしい思いやりのある学級になれました。ありがとう。」と言ってもらい、涙が出るほど嬉しかったです。 越してきて、幸町小学校に転校しました。娘も一度見学したこともあり、元気に登校してくれました。先生や私をヒヤヒヤさせたこともありましたが、一人バス通学もして無事卒業できました。 幸並中学校に入学してから刺繍、七宝焼、はたおり等と色々なことを教えてもらい、自信がどんどんつき、また変わっていきました。 娘が病気の為に障害を持ったことは、とてもくやしく、悲しいことです。時々、娘が障害のない子だったら、どんなふうに成長していたのかなと、考えることがあります。でも、障害を持った娘がいたから、色々な人と知り合えたり、話したり、やさしくもなれたと思います。大変だった時もありましたが、今はいい思い出です。これからもいい思い出を娘と沢山作っていきたいです。やさしく、明るく、穏やかな娘に育って欲しいと思います。 私の自慢の娘です。 |
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