| 親の手記3 |
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二才を過ぎても言葉が出ず、名前をよんでも振り向くことが少なく、人にはあまり関心を示さないので、耳の聞こえが悪いのではと病院で検査を受けましたが、異常はなく、「たくさん話しかけてください」といわれ、三才まで子供への働きかけを心がけながら様子を見ましたが、言葉は出てきませんでした。この頃やはり普通の子と少し違うのではないかと不安になり小児神経科の先生に見てもらい自閉症と診断されたときは、とてもショックでした。まさか私の子が障害児だなんてという思いで主人といくつもの病院を廻りましたが、どこの病院でも同じ診断でした。でもその頃はまだどうしても私たちの子を障害児だと認めることができませんでした。 生まれたのはちょうど出産予定日で、3290gのとても元気な赤ちゃんでした。初めての子で同居している祖父母や実家の祖父母にも、とてもかわいがられて、片時も目を離すことなく大事に育てられました。 外見は普通の子と変わらず、風邪もあまりひかず、丈夫でしたが、言葉はひとりごとや、こちらが言うことをそのまま言い返すおうむ返しが多く、会話はまったくできないことなど、健常児の子との差がますますはっきりしてくるにつれて少しずつ子供の障害を認めてあげられるようになりました。 小学校は複式学級で六年間過ごしました。複式学級の先生方はもちろん普通学級の先生や子供達とてもよく理解して下さり、いっしょに遊んでくれたり声をかけてくれたりしたことは、とてもうれしかったです。 中学一年の頃はちょうど思春期と環境が変わったことなどが重なり、外に出ることをいやがり悪いこだわりが増えてしまいましたが、中学二年から幸並中に転校してからはおかげ様でとても調子が良く、少しずつ表情も穏やかになり、悪いこだわりも少しずつとれて、毎日学校が楽しみのようです。 これから卒業してどこへ行っても子供が元気に楽しく穏やかな気持ちで毎日過ごしてくれることが親の願いです。 学校に望むことはこれからも、ダンス交流など、交流学習を続けていただいて、障害を持った複式の子供達のことを普通学級の子供達に理解していただきたいと思っております。 |
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